起業家物語

【Case10】25歳にして借金70億円を背負った男 大崎大造氏

25歳のとき、既に負債総額は約70億円。
ギャンブルに興じていたわけでもなく、女に貢いでいたわけでもない。
自身で興した事業が失敗したという事実もない。
ある時気付けば、彼は莫大な借金を背負う債務者になっていた。

負債70億円

今回の主人公、大崎大造氏は昭和40年、起業家の家庭に生を受けた。
大造少年の記憶をたどると、一般の家庭ではあまり見る事の出来ないドラマがあったという。
例えばこんな話がある。

・見知らぬ人が1か月ほど父を頼って自宅に住み着いた。
・今まさに夜逃げをしようという夫婦が、逃げる前にわざわざトラックで父にあいさつに来た。
・交通事故の仲裁を父が買って出たりしていた。

実は、大造氏の父は人との関係を非常に大切にする人だったことがうかがえる。
まずは、大造氏の現在の活動を知るにあたって、彼の父親についてを追う必要がある。

叔母の会社の番頭として

大造氏から見た叔母、つまり大造氏の父の姉に当たる女性がいる。
彼女を仮にAさんとしよう。
このAさんが、運送会社を営む家庭に嫁いだ。
そんなきっかけから、大造氏の父もこの会社に勤める事になった。
大造氏の父はその商才から、社内でもメキメキと頭角を現したという。

しかし、そうなると父の姉であるAさんとしては立場が難しい。
Aさんから見ると、ご主人である社長と、弟である大造氏の父。
当人同士は意識しなくとも、大造氏の父の影響力が大きくなればなるほど、Aさんの立場は微妙になる。
そんな事を感じ取った大造氏の父は、その会社から身を引いたという。
自分の存在が、人を困らせてしまう状況にはなっては欲しくなかったからだ。

父親に備わる起業家としての才覚

その後、大造氏の父は起業家としての能力を開花させた。
タクシー会社運転手として働き、次に物販を行い、塗装会社を立ち上げた。
特に、物販に関しては、自社商品を開発し、当時はまだ珍しかったテレビショッピングで大成功を納める。

うなるような稼ぎを次から次へと事業へ投資し、会社は倍々ゲームで大きくなっていく。
しかし、それも長くは続かなかった。
1975年に開催された沖縄海洋博への投資の失敗である。
大造氏の父は、この時、負債1億円を背負う事となった。

1975年の大卒初任給が89,300円。
2016年の大卒初任給は、200,000円前後という。
その水準は倍以上の変化である。
この事から推測すると、当時の1億円の価値が現在の2億円以上の価値であることは言うまでもない。

アメリカ留学から帰ると家業は窮地に

まさにジェットコースターのような大造氏の父は、この程度では肩を落とすことはなかったようだ。
その後、不動産業で再び成功を納める。
順調に売り上げをあげる不動産会社に、また暗雲が垂れ込め始めた。

とはいえ、不動産におけるトラブルで、大造氏の父はこんどは70億円の負債を負う事となる。

実はこのころ、大造氏はアメリカへ留学していた。
留学から帰国したときには、どことなく重い空気が家族内にあるのを感じ取っていた。
大造氏の弟は、父の事業を手伝い、父の会社が所有する不動産で焼き肉店やパチンコ店を経営。

このまま大造氏が父の会社に勤めるという選択肢もあった。
しかし、会社の窮状を察すると、別の収入減を持つことが必要だと考え、個人事業主として起業の道を選んだ。

起業を決めた矢先に起こる不幸

相続放棄をしたはずが・・・

起業すると言っても、特別な技術や経験があるわけではない。
起業に当たっての資金もない。
大造氏は、身一つで起業できる仕事を探し求めた。
そして出会ったのが生命保険のセールスの仕事だ。

いざ、独り立ち。
そんな矢先に、大造氏の耳には父の訃報が飛び込んだ。
その悲しみに肩を落とす間もなく訪れたのは、現実的な問題。
父の70億円の借金問題である。

弁護士と打ち合わせのうえ、大造氏は相続放棄。
これでほっとしたのもつかの間、ある事が発覚する。
大造氏とその弟は、自分が知らぬ間に父の借金の連帯保証人になっていた。

人生の岐路

銀行は、まとまった返済を求めてきた。
しかし、保険のセールスの仕事を始めたものの、常に潤沢な収入があったわけではない。
まともな生活さえままならず、その上、常に借金の事が頭から離れない。

そんな中、何とか資産の売却などで借り入れの返済に充てながら、
紹介を頼りに保険セールスを続けていた。
このままなんとか生活を軌道に乗せられるか、と思い始めた矢先に新たな変化が訪れた。
業界の規制により、大造氏は今の状態のまま保険セールスの仕事を続けられない状態に陥ったのだ。

選択

大造氏は振り返る。
「ここまでの人生はどちらかというと、濁流の中でもがいていた状態。
あれよあれよという間に、望まぬ状況に陥ってしまっていました。
しかし、その濁流の中でも、踏ん張って、自分の決断をすべき時だと感じたのです。」

もちろん、条件は悪化しても保険の仕事を続けるという選択肢はないわけではなかった。
それでもあえて、その道を閉ざしたのにはわけがあった。

実は、大造氏は、知人の勧めもありあるセミナーに参加した。
その内容は、「有事の時の資金繰りセミナー」。
これは、借金を抱えて動きが取れなくなった人たちが、そこから抜け出し、新たな人生を築くためのセミナーである。
参加者は、大造氏のように親が事業で作った借金を二代目が肩代わりしているケース、
メーカーの要求にこたえて設備投資をしたとたん、メーカーからの仕事が途絶えたというケース、
など様々。

決して自身の享楽のためではなく、事業に人生すべてをかけた経営者が多数いたのだ。
大造氏が保険営業をしていた時には、多くの中小企業経営者の世話になった。
しかし、彼らと同じ立場の人間が、これだけ多く借金に苦しめられている事に愕然としたという。

ライフワークとしての事業

お金の正と負

大造氏は、親から引き継いだ借金と、生命保険というお金を扱うビジネスの中で感じたことがあるという。
お金というのは、負のものであれ、正のものであれ、それは幻のようなものではないか、と。

あるようでない。
ないようである。

この不思議な性質に関心を寄せるとともに、二つの柱をライフワークとして定める事とした。
一つは、負の”リスク”に対抗するファイナンシャル・リスク・アドバイザーという方向性。
そして、もう一つはお金を働かせるというアドバイス。

「投資」というとどこか身構えてしまうような怪しさがあるのが日本の現状。
これを、より低いハードルで、一定程度リスクをコントロールしながら行う投資セミナーをスタートさせた。
500円からできる投資セミナーである。

お金の正と負に関わるアドバイザーとして、自身の人生をかける事を心に決めた。

「和多志」の会

ところで、「わたし」という言葉、本来は「和多志」という文字だったというのをご存知だろうか。
大造氏によると、戦前はこの字を使っていたのだという。

この字には、深い意味がある。
多くの志を和す。

個があって全体があるのではなく、全体があっての個がある。
この思いを実現するために、中小企業経営者が集う会を2017年6月に立ち上げた。

子供たちが輝かしい未来に夢が持てる世の中を作りたい。
子供たちが憧れる経営者や大人を一人でも増やしていきたい。
そんな思いからスタートさせた会。

負の経験が未来への人脈へ

負債70億円で社会人のスタート。
ハッキリ言って、随分と劣勢な社会人人生の始まりといって否定する人はいないだろう。
しかし、大造氏はそんな状態であったからこそ出会えた人がいる。
それもまた事実だ。

各個人の経験を活かすことを、世界は待ち望んでいる。
彼の経験もまた、世界の変化に一つ色を添えていくのかもしれない。

 

ファイナンシャルリスクアドバイザー
大崎大造 氏

事業主を守るファイナンシャルリスクアドバイザーの七転八倒!奮闘記
http://ameblo.jp/daizou59/

 

 

 

ライター:田村薫

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