起業家物語

【Case3】家賃月額1,800円のアパートで、少年が見た社会の仕組みとは? 加藤弘幸氏

取材が始まって5分とたたず、私はこのインタビューを設定したことを後悔しはじめた。

 

これは、私が聞いていい話なのだろうか?

あまりに赤裸々な話に、メモを取る手は汗ばみ、自分がどこにいるかわからないような浮遊感。

正直私は狼狽えた。

 

そんな私の様子を構う風もなく、加藤氏は淡々と語り始めた。

「私の起業のルーツを話すなら、オヤジの話からはじめないとあかんね・・・。」

2世代にわたる物語の始まりだ。

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15年近い付き合いの中で、今初めて明らかになる知られざる過去


実は、加藤弘幸氏とのお付き合いは長い。
氏は私にとって保険業界の先輩であるという事もあるが、様々な業界団体の中でご一緒させていただく機会も多いし、プロジェクト単位でコラボすることもある。

知り合った当時、地域密着型の保険代理店といえば、50歳代~60歳代がほとんどであったのに対し、30歳代の加藤氏は異色の存在だった。

 

日頃の加藤氏に対しては、さながら「目的」を達するためには最短距離を進むアスリートという印象を持っていた。私は、よくイチロー選手とその姿をだぶらせる。

当時の保険代理店といえば、その「目的」は、保険をどれだけの量を売り、キャンペーンにいかに入賞するか?というものだったが、彼だけは違う「目的」を見ていたように思う。

その背景には、いったい何があるのだろうか?

私は長年、興味を持っていた。

 

 

ご本人のお話に戻ろう。

氏のお父様は、自衛隊を辞めた後、20歳代で不動産業を立ち上げ軌道に乗せる。その後、26歳で町会議員に立候補し、最年少の議員となった。

成功の階段を猛スピードで駆け抜けた形だ。

しかし、それは長くは続かなかった。不運が続き、不動産会社は手放すことになり、行きついたのは、家賃月額1,800円のアパート。

 

 

天国から地獄とはまさにこのことで、加藤少年もまたその中で多くの経験をする。

 

あるエピソードがある。

外ばきのスリッパが学校で必要になるものの、母親を困らせたくなくて買ってほしいとは言い出せなかった。そこで、ごみ箱に捨ててあったものを拾ってきて、きれいに洗って自分のもとしたことがあるそうだ。

 

しかし、そういったシーンを人は見ているもので、当然いじめの対象となった。

浴びせられる罵詈雑言。

その中には、自分達家族が間借りするアパートの家主の子供もいたそうだ。

家主の子であることをかさにかけて、人をさげすむ目つきを見た時、加藤氏は世の中の仕組みを理解したという。

「人に頼ることなく生きていく力をつけなければ、人は自由を得ることができない」と。

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売れない・・・


そんな思いから、人一倍勉強に、スポーツに励んだという。

中学生のころには、おぼろげながらも勤め人ではなく、自分で商売しよう、と考えていたというのもこのころの経験からであろう。

高校卒業後、周囲の反対を押し切って大学に進学し、アルバイトを掛け持ちながら生計を立て、学費を工面した。

大学在学中に、アルバイト先であるパブの経営をしてみないか?というオファーもあったが、まずは昼の仕事を成功させよう、とその誘いは断った。

就職活動においても、藤田田氏の理念に共有し、マクドナルドへの就職も考えたが、あえて「自由」を求めてこの話も断る。

 

そんな折、目についたのが損害保険会社の研修生制度だ。

独立を前提とした、保険セールスの研修制度で、見事卒業すれば一国一城の主となれる。資本も不要で、当時は電話とパソコンさえあれば開業できる、と言われた業種だ。

 

しかし、それも決して楽な道のりではなかった。ほとんど縁のない土地で、毎日200件の飛び込み営業を続けるが、成果はあがらない。先輩社員から退職勧告まで受けるようなありさまだった。

そこで、加藤氏は転換を図った。「売り込む営業」から「売り込まない営業」に切り替え、それを機に業績はグングン伸び、数年後は保険会社の表彰式の常連となるところまで上り詰めた。そして、当時、個人事業が主流であった保険代理店の中で、いち早く法人化を果たし、組織化に着手した。

 

これはありがちな、根性物語ではない


 

営業での苦労経験から、その後まだほとんど着手されていなかった、WEBサイトを活用した保険のマーケティングをスタート。試行錯誤を経て大成功を収める。ここでも、同業他社からの嫌がらせにあうが、とどまることなく快進撃を続ける。

この時のノウハウ、経営に関する考え方を一冊の本にまとめられているので、参照されたい。

行列のできる保険代理店の作り方
ここまでの話をなぞると、よくある「逆境をはねのけて成功した根性物語」をイメージするかもしれない。ただ、私の印象はそうではない。

 

 

そこを確認するため、私は少し意地悪な質問をした。

「いじめられた経験から、見返してやるという感情はありますか?」

「苦しい生活を強いられたお父様に対して、どんな感情をお持ちですか?」

 

これらに対し、表情を変えることなく加藤氏は淡々と答えた。

「あの暮らしの中で、何とかやってこれたから、大抵の事ならビビることなくやれる自分があると思う。根拠のない自信やけど、それは役に立ってると思うな。」

親父の事は、今となってはいい経験させてもらったという感謝を感じてる。ただ、親父は商才には長けてたと思う。立派な頂き物をいただいたら、どんな時でも周囲の人とシェアして、独り占めはしなかった。そこは、尊敬するところやな。

 

「たぶん、親父の存在は自分の性格形成に、かなり大きな影響を受けてると思う。よく人に近寄りがたいといわれるけど、それは付き合う相手を選ぶからやと思う。大事にすべき家族や社員や、お客さんはどんなことしても守らなあかんと思う一方、そのサークルから外の人にはあまり興味を示さない。」

 

最後に、モチベーションの源泉について聞いてみた。

自分がいる環境は、自分で作らないといかんな、と思う。自分は、自分の居心地のいい環境を作るために走るんやと思う。」

 

そうなんだ・・・。

納得しかけた時、メモをみると加藤氏の別のセリフが目に飛び込んだ。

 

「自分だけができてもおもろないやん。」

 

 

そこで、いろんな話が一つにつながった気がした。加藤氏は常々「教育事業がやりたい」とおっしゃっていた。つまり、自分が学び取ったものを、人に授けたい、という思いを持っていると考えられる。

結局、道なき道に踏み込み、自ら開拓した地に“仲間”をいざなう。

それが、氏のミッションなのかもしれない。

 

今、氏は「商品」起点となりがちな保険代理店のビジネスモデルを、「起業の困りごと」にフォーカスするコンサルティング事業をフロントエンドに据えることで、大きな転換を図りつつある。

 

 

加藤 弘幸 氏

株式会社京応 代表取締役kato

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